私の迷信

今日はこれから「耳をすませば」がTV放送される。金曜ロードショーだ。私の家には(正式な)テレヴィがなく、持ち運びができワンセグ放送が受信できる小さな機器がある。一昔前のデジタル写真立てのような見た目で(というかデジタル写真立ての機能もある、使ったことはないけれど)、いまならタブレット的な製品になっているのだろうが、あいにく数年前に親からもらったもので今みるとやすっぽいように見える。

これは録画しておこうと思い、今日の午前中に録画予約をした。貧弱なソフトウェアで(あるいはワンセグの仕様なのかもしれないが)数時間先の番組しか録画することができない。本当は録画しているし他のことをして過ごそうかと思っていたのだが、暇になってしまって、リアルタイムで見るのもいいかもしれないな、と思う。

しかしなんとなく気が進まない。そうして考えて気づいたのだけど、どうやら私はこの機器を信用していないようだ。録画しつつ視聴するという動作がなんとなく危なっかしく思えるのだ。

もちろん、録画している時に視聴できないような録画機能なんてないだろう。録画機が発明されてどれだけ経つと思っているのだ。そもそも今までの使用経験からいっても何も問題ないはずだ。そうわかっていても若干の忌避感がある。

思うにこれは私がこの機械の原理をきちんと理解できていないんだな。視聴するという機能と録画するという機能を内部的にどう実現しているのか。そもそもテレヴィってどういう仕組みなのだろうか?PCのような仕組みだと考えると、演算機能の性能によっては同時に走っている機能の処理に影響があることがないとは言えない。視聴するという処理によってリソースを消費し、録画が不十分になるなんてことがあるとやだなあ、と思う。

でもテレヴィってPCより前にあったんだよね。じゃあ違う方式なのかな。あんまり演算してないとか。でもSDカードにデータを保存するようになっているので、なんらかの情報処理はあるんだろうな。じゃあテレヴィってなんで動いてるの?よくわからない。

こういうことを思うにつけ、知識の不足を痛感する。なんで私は今まで原理のわからないものに囲まれて、その仕組みを知ろうともしなかったのだろう?ともだちに、普通は将棋のルールくらいしってるでしょう、結構接する機会もあるし、って言ってしまったけど、それを言うなら私はどうしてテレヴィの仕組みをこんなにも知らないのだろう。私は例えば蛇口をひねるとどうして水が出るかもよく知らないのだ。蛇口だけを持ってきて、水が出ることを期待した人を馬鹿にできない。録画と視聴を同時にすることへの抵抗感は、そのまま現代の小さな迷信だ。