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爆発する文学者

作り話

文学者が爆発した。今月に入って3度目になる。

これで、爆死した文学者は10名を超えた。爆発する頻度は日を追うごとに増えている。最初の一人は文学者を自称する名もなき物書きだった。それからノーベル文学賞に目されている著名な文学者が往来で爆散した。往来で死ぬのは稀有な例で、大抵は自宅、原稿用紙の前、トイレ、シャワールームが爆心地になった。爆発といえども火は起きない。破裂といったほうが正確かもしれない。しかし往来でのそれを見ていた人が口を揃えて爆発と言ったから、今では文学者は爆発するものとして捉えられていた。

何しろ原因が分からず、分かっていることといえば爆発した人はみな文学の創作を生業としていたことと、現役で身体の異常は多少の病気はあれ認められていなかったこと、未完の作品と呼べるような作品がなかったこと、その程度だった。最後のひとつは週刊誌が爆死作家の残した原稿特集を組もうとして発覚した事実だった。それ以外に、年齢も、性別も、有名無名作品の多寡にも、共通点は見出されなかった。日本での例が多いということはあったが、4人目の爆発者がイギリス人であったことを皮切りに、国を問わず爆発は起こった。

 

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爆発する人間が100を超えた頃には、文学者の爆発はもはやお決まりのニュースの題目になっていた。文学者たちは自らの爆死を恐れ、わずかな手がかりを元に、筆を断つ、あるいは今書いている作品を完成させないようにする、という防衛策を講じた。一方で市井の人々にとって、人間が突然爆散するという奇妙さ以外の点では、あまり関心を持つものではなかった。なにせほとんどの人は文学者ではないのだし、親しい文学者がいるのではなかった。

新たに世に出される文学作品の数は激減したが、本を売ることに関わる人間以外にとってはあまり気を揉むようなことではなかった。何しろ今は十分すぎるほどの過去の文学作品の蓄積があった。新しい作品は古い作品の焼き直しでしかないと言われ、新しい本より古典を読むことの方が推奨されるようになっていた。文学の完全なまでの成熟が科学的に立証され、「文学は死んだ」として新聞を賑わせてから数年が経ち、文学はついに物理的に死ぬところまで到達したのだ、という言説を声高に主張する人間が後を絶たなかった。

 

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1000を超える文学者が死に、生き残っていた文学者はすでに文学者とは言えない人間になっていた。もはや書いている者など皆無だった。書いたら爆発する。それは文学を志す人間にとってはすでに確信だった。一方で、書き続けても死なない人間もわずかながらいた。しかし彼らの作品に文学的価値はなく、まさしく古い作品の焼き直しであり、にもかかわらずこのご時世に筆をとる稀有な作家としてもてはやされた。そのようにして成り上がった作家の一人が爆死した。今までにない文学作品を作るとマスコミの前で高らかに宣言した、そのすぐ後のことだ。

 

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爆発する文学者はいなくなった。それでも文学を諦めることのできない少数の人間が、人工知能を使って小説を生成する試みを続けていた。大抵は徒労に終わった。焼き直しの域を出なかったのである。しかしそれも当然のことだった。すでに文学にフロンティアは無いのだ。それは証明された。彼らはそれを受け入れられずにもがく力なきレジスタンスだった。もっとも優れた人工知能がもっとも優れた小説を書いた。それはすでに書かれたものなのだ。

その日、研究者の一人が出来損ないの人工知能が書いた出来損ないの小説をなんとはなしにチェックしていた。この人工知能は明らかな欠陥、バグを持っており、しかもそれは学習を進めるほどに自己拡大するバグだった。彼はその人工知能を騙されて買い、それから作品を作らせては読むということを繰り返していた。その人工知能が作る作品世界は必ず破綻していた。時に1行目から。時にラストシーンで。彼はその破綻を読むのが好きだった。そうして彼は最新作を読み、第73頁を読んだ直後、爆発した。

 

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出来損ないの人工知能が書いた作品は自動で公開されるようになっていたから、その作品は誰でも読めるようになっていた。研究者の他にもわずかながらのファンがおり、公開されて1週間で300人がそれを読んだ。300人全員が爆死した。それは決まって第73頁を読んだ後のことだった。この小説の噂は飛ぶように広がり、いつしか「呪いの小説」と呼ばれるようになった。

興味深いことには、第73頁だけを読んだ人間は爆発することはなかった。あるいは第72頁までを読んだ人間も、無事だった。第73頁までの全ての頁を読んだ者にのみ爆発は訪れた。一部のみを読んで生き残った人間は自らが読んだ部分を手掛かりに作品を解明しようとした。それが成功することはなかった。どの一部分を読んでも破綻しているようにしか思えないのだ。

 

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「呪いの小説」は当然その流通を制限されたが、コピーが出回り、爆発する人間は後を絶たなかった。もっとも手軽な自殺手段になり、また快楽殺人の道具にもなった。爆発を直接目撃する人が増え、その結果ひとつの奇妙な事実が浮き彫りになった。爆発の直前ーー彼または彼女が第73頁を読み終えた時、その表情は爆発を予感しての恐怖で歪んでいるということは決してなかった。ある者は信じられないとでもいうような驚愕の表情を残し、ある者はこの世の無上の快楽を得たような恍惚の顔だった。その一瞬の後に、表情は跡形もなく砕け散り、爆発の痕跡だけが残った。

爆発の原因は依然として謎だった。「呪いの小説」を読んだ者は文学者になってしまうのだ、という主張もあった。しかし彼らの多くは一度たりとも文学作品を作ったことがなかった。もしかしたら作ってしまう必要はないのかもしれなかった。逆に、文学者が「呪いの小説」を思いついてしまったからだ、という主張もあった。しかし1000人を超す人間が同じ小説を思いつくというのは考え難いことだった。もしかしたら全く同じものである必要はないのかもしれなかった。

 

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各国政府は国を挙げてこの爆発の謎を研究していた。爆発時のエネルギーの出処がわかればエネルギー産業に革命を起こせる。爆発の機序が分かれば兵器として利用することが可能だ。あるいは混乱した市民に対し科学の権威を取り戻さなければという思いもあったのだろう。文学の問題としてこの爆発を捉える人間はいなかった。そこには文学的な意味などなく、あるのは文学という既知の前提だった。文学は死んでいた。そうして文学は爆発することなどない。